明治40年 | 牛田喜代松が名古屋市中区東橘町52にて《平削り加工専門》の牛田鉄工所を創立。 |
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昭和10年3月 | 工場を中区御器所鳥喰24(西川端町)に移転。 |
昭和12年1月 | 株式会社牛田鉄工所に改組、初代社長に牛田清一が就任。 |
昭和20年3月 | 第二次世界大戦の名古屋大空襲にて焼失。 |
昭和21年3月 | 現地復興。 |
昭和40年5月 | 創業60周年を期して、三法鉄工株式会社に改組。 |
昭和45年3月 | 資本金2200万円に充実。 |
昭和53年12月 | 乾貞夫代表取締役、牛田清一取締役会長就任。 |
昭和54年12月 | 一層の躍進を期して、本社を愛知県海部郡美和町大字森山字番上50−1(敷地670坪、建物260坪)に移転。 |
昭和55年8月 | 建物370坪に増築。 |
昭和60年4月 | 門型マシニングセンター《新日本工機RB−2NC》導入。 |
昭和61年4月 | 工場南側一棟、事務所二階建一棟増築(建物460坪)。 |
昭和62年7月 | 門型五面加工機《新日本工機RB−4NC》増設。 |
平成元年7月 | 工場増築(建物550坪)、天井走行クレーン20t/5t、15t/5t微速付き二基増設。 |
平成元年12月 | 門型五面加工機《壽工業KMC−15A》増設。 |
平成2年12月 | 乾鋼代表取締役、乾貞夫取締役会長就任。 |
平成3年6月 | 隣接地に敷地250坪取得。 |
平成3年8月 | 超大型門型五面加工機《三菱重工M−VR38/42A》増設。 |
平成10年5月 | 門型五面加工機《新日本工機RB−4NM》増設。 |
平成22年3月 | 旧七宝町、旧美和町、旧甚目寺町の3町合併に伴い、あま市森山番上50番地1に住所変更。 |